今のメディアに関する違和感
こんにちは、フリップです。
今回は、最近僕が、テレビをはじめ週刊誌、ネットのニュース等を見て思うメディアに関する違和感について書いていきたいと思います。
僕は日本の今のシステムは酷すぎると思います。
小さい頃から教育で洗脳され、大人になってもメディアに踊らされて洗脳されています。
前に書いた教育への違和感の記事をまだ読んでくださっていない方は読んでくれると嬉しいです。
今回は僕が感じているメディアについての違和感について書いていきたいと思います。
まずは、メディアは日刊新聞紙法や放送法などいろいろな法律によって守られています。
NHKなんかは特にすごいです。
みなさんがテレビのリモコンを買うとしましょう。そうすると基本的にはどのリモコンにも数字が埋め込まれています。この「1」を押すとNHKを視聴する事ができるにです。うちの家族なども夕飯の際にニュースを見ようと言ってとりあえず、1チャンネルのNHKを流しています。うちのような家庭も多々あるのではないでしょうか?
このようにメディアは特権を持っていることはみなさんも知っていると思います。
このような特権が法律によって与えられているからにははメディアは私たち国民に対して情報を正確に伝える義務があると言っても過言ではありません。
しかし今のメディアは、世間から注目されたいばかりに情報をおもしろおかしく編集しているのが事実です。
有名人や政治家などがしゃべっているのは編集されているものばかりでしょう。あれも全て流してもらえないとその話の全貌が見えず、その人が部分的に放った一言だけが放送されるとその人の世間からのイメージがその一言によって変わることもあるでしょう。
しかし、毎回インタビューの内容を全て流すなど無理な話です。
だからこそメディアはおもしろおかしくではなく、正確にわかりやすく編集してほしいと思います。
そうすることによってその局の世間からの信頼も上がり視聴率上昇につながると思います。
上記したことのいい例は犯罪行為の報道についてです。
日本には推定無罪の原則というものがあります。
推定無罪とは「何人(なんびと)も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という原則です。
しかしメディアはまだ裁判が終わっておらず罪が確定していない状態で、すでに「こいつが犯人だ!」「こいつは悪い奴だ」と言わんばかりにまくしたてます。
もし仮にその人が冤罪で実は無罪だったとしましょう。しかし世間からは、『あの事件の人ね」という目で一生見られてしまいます。
その報道が誤っていたらそれによって人の人生やその周りの人たちの人生をも滅茶苦茶にしてしまう可能性が大いにあるということをメディアは自覚していなければなりません。
そこまで考えていたら、そんな『推定有罪』な報道は絶対にできません。
そういう認識が今のメディアには薄すぎると思います。
都合よく、おもしろおかしく取り上げることで被害を被る人たちもいるのだということを忘れないでください。
今、世間ではテレビ離れという現象が見られています。
しかし、テレビが今よりももっと情報を正確に伝えることに徹したらまた世間からテレビへの信頼も戻ってくるのではないでしょうか?
僕はまだテレビへの信頼も捨てたもんじゃないと思っています。
以上です。
最近よくテレビを見ていて、メディアに関して違和感を感じていたので今回記事にさせてもらいました!
最後まで読んでくれてありがとうございました!