今の古い学校教育への違和感 我慢について
少し前になりますが僕は、学校教育について感じている違和感について何回かに分けて書いていきたいという話をしました。前回の『集団授業について』を読んでない人は↓から読んでくれると嬉しいです。
子供は常に我慢をさせられていると思う。
その我慢によってものを考える力や欲する力を奪われていると思う。
これを読んでくださっている人たちもそうだと思いますが小さい頃から役に立つかのわからない勉強を周りの大人たちに詰め込まれてきています。その時間は趣味や遊びなどを我慢させられています。我慢できない人は怒られたり成績を下げられたり、時には暴力を振るわれることもあったかと思います。
最初は勉強が嫌だったかもしれません。しかし気がついた頃には勉強を嫌だと思うことすらできないように洗脳されていることでしょう。
やりたかった趣味や遊びなども我慢させられることなく熱中できていればもしかしたらそれが将来自分を助ける大きな武器となっていたかもしれません。
小さい頃からゲームが好きでに熱中していた子はそのままプロゲーマーになり専業でたくさんのお金を稼いでいたかもしれません。小さい頃にパソコンを買い与えてもらってプログラミングに熱中した結果、専業でお金を稼いでいた可能性は大いにあります。
好きなことに熱中するということはやらされるより何倍も何十倍も何百倍も強い原動力がみなぎっていることでしょう。
我慢させられすぎて我慢を美徳だと捉えるような人まで出てきています。
何かを禁止する、すなわち我慢するということは素晴らしいと考えている人も世の中いますが、僕はそんなの馬鹿らしいと思います。病気で余命宣告された人が吹っ切れて食生活を制限しなくなった結果、余命宣告よりもかなり長く生きたというのはよくある話です。
人間は自分を制限するものにストレスを感じると思うので、自分に過剰に我慢をさせないことが長生きの秘訣であり健康の秘訣でありそして人生を充実させる秘訣だと思います。
洗脳は、勉強をするのは当然、学校に通うのは当然、学校を卒業したら就職活動をして会社に入り一生の大半を社畜として生きていく、という負のレールを教え込まれます。
このレールに沿って生きている大人ほど言います。
「学校は大事だ」
「いい大学に入れ」
「しっかり勉強していい会社に入れよ」
彼らは洗脳されています。
自分が歩んできた考える力を奪われる洗脳教育を自分の成功体験として認識してしまっています。
確かに引かれたレールの上を何も考えずに歩んでいくのは楽かもしれません。しかしそれが本当の幸せでしょうか?
もちろんそのレールに乗るなとは言いません。
しかし目の前に引かれているレール、すなわち社会の常識を普段から一度自分で疑って本当にいい会社に入って社畜として生きていくことが自分の生きたかった道なのか、他にやりたかったことはなかったのか、自分は今の生活に熱中できているのか、できていないのなら何に熱中したいのか、まだ見つかっていないのならこのままレールに乗って進んでしまっていいのか、など一度振り返って考えてみる必要があるのではないでしょうか?
今、時代は大きく動いています。今まで当たり前だったレールが崩れ去る日も近いかもしれません。
僕も、ついこの前自分の胸に手を当てて今一度やりたいことを考えてみて今までの人生にUターンをするような大きな方向転換をしました。
僕のこの記事が、これを読んでくださっている方々の人生の少しでも参考になればと思っています!長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました!